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テレビ君が街に家にやって来た!

2003年は、放送界の大きな節目でした。景気が衰退する中、デジタル化への準備をゆるやかに進めるしかない状況下で、今日までの放送技術の進化、番組の変化などを見つめ直す特集が多く組まれました。

ピアノで弾くテレビテーマ/ピアノ増刊, July. 2003

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~今年で50年を迎えたテレビ放送。音楽番組も50歳です!~
テレビ君が街に家にやって来た!

「歌は世につれ」というが、戦後の日本とりわけ高度成長期以降においては「テレビは世につれ、世はテレビにつれ」とも言えそうだ。1953年2月1日、NHKが、同年8月28日、日本テレビ開局してから今年で50年。テレビ史を駆け足でたどりながら、音楽番組の今昔について考える。

テレビ草創期はご近所中が大騒ぎ!日本中がテレビに憧れ、夢中だった

テレビ放送が始まった1953年は、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみらが人気を博し、大卒の初任給が1万ン千円だった時代。「テレビは1インチ1万円と言われてね、うちこ;ま、放送局の技師さんに頼んで作ってもらったんだ。16インチで15万くらいだったかなあ」懐かしそうに語る西澤實さんは、1918(大正7)年生まれ。当時はNHK専属の人気ラシオ作家で、テレビの試験放送にも関わっていたため、仕事柄、開局当時から家にテレビがあった。住まいは都内のお屋敷町。だが、近所にテレビのある家は1軒もなかった。「近所の子供たちが毎日のように10~15人くらい見に来てたよ。力道山のプロレス中継なんかは人気があったねえ」

必殺技「空手チョップ」に日本中が湧いた時代。西澤家の12畳の応接間に置かれたテレビは、ご近所中の宝物だった。

制作現場はハプニングの連続。でも、それが楽しかったいい時代

当時の番組は生放送。だから、何が起こるかわからない。「たとえば電車が走ってるシーンなんかも、車窓に流れる風景を合成で作るなんてわけにいかないから、手製の電信柱を人が持って走る、なんて原始的なやり方だったりしてね」スタッフも少なく、今のように大道具、小道具、音響などと明確に役割が分かれておらず、皆臨機応変に協力しあっていたそうだ。うっかり、カメラの前を人が横切るなんてことも珍しくなく、「スイッチャーのミスで、こともあろうにひげ面の音響さんがアップで映ったこともあるよ。でもその音響さん、人柄のいい人で、にっこり『すみません』。お咎めなしだった」。ライトの熱が強くて、ドラマの本番中にカツラが燃えかけたことも。「僕の作品ではないけど、たまたま居合わせたドラマの現場で、毛利菊枝さんのカツラがくすぶりだしてね、相手役が思わず『大変だ、お前の家が火事だ』なんて言って(笑)」

ハプニングが現場の連帯感を強めていたいい時代だったようだ。また、黎明期ならではの夢のある作品も多い。

西澤さんのヒット作では1955年~1956年日曜夕方6時半から放送された子供向け人形劇『テレビ天助』シリーズが好例だろう。結城座(東京都無形文化財)の江戸糸操り人形を用い、大天狗の弟子、天助少年が世界を巡り盗賊や海賊を退治する楽しい冒険ストーリー。「天助はテレビカメラを背負っているので、何をやってるか大天狗に分かってしまう」

漫画化され、名古屋の菓子屋が『天助飴』を発売するなど、この時代すでにキャラクター商品が生まれていたのだから驚きだ。

カメラやマイクなど機械技術のレベルはともかく、制作現場のチャレンジ精神、番組に対する好奇心が旺盛だったことは、多様多彩な音楽番組からも見て取れる。『歌のアルバム』、バラエティーショーの『夢で逢いましょう』や『シャボン玉ホリデー』(1961~1972年、日テレ)はあまりに有名。他に、草笛光子が歌に踊りに活躍するミュージカル・バラエティー『光子の窓』(1958年~1960年、日テレ)も人気が高かった。

さて、高価だったにもかかわらず、テレビが一気に普及したのは1959年の皇太子ご成婚。パレードをテレビで見ようという、電機メーカーのPR作戦が大ヒットし、当時の生産量の約2倍の注文が殺到したそうだ。「そりゃもう、盛り上がったねえ。皇太子殿下や美智子さまのお顔が見られるなんて、それまでは考えられなかった時代だったから」

西澤家のテレビは3台に増えていた。ご成婚当日はさぞかし人が集まったと思いきや、「ご近所もテレビを買っておられたよ(笑)」

アイドルは家にはやってこない

'70~'80年代は音楽番組真っ盛り。長寿番組『夜のヒットスタジオ』の人気を上回った『ザ・ベストテン』はそんな時代の象徴といえる。「ひょっとしたら、中継車が家の近所に来るかもしれない」なんて、妙な期待感を抱いてた人も珍しくなかったくらい。昨今は不景気もあって、音楽番組は流行らないなどと言われるが、次代を感じる新しい音楽番組の誕生を心待ちにしたい。

テレビも音楽も、世につれ変化。'70~'80年代はアイドルやベストテン全盛

テレビ受像機の普及が1000万台を超えたのは1962年。テレビ放送開始時の契約台数は約870台と聞くから、10年間の伸びは凄まじい。また、皇太子ご成婚の1959年に国産初のカラーテレビが製造されて以来、カラー放送も年々増え、1964年の東京五輪で-気に拍車がかかる格好に。

すでにチャンネル数も1955年開局のTBS(当時はKRテレビ)、1959年開局のテレビ朝日(当時は日本教育テレビ)、フジテレビ、そしてNHK教育と増え、やがて視聴率戦争が始まるわけである。

音楽番組も例外ではない。黎明期はご時世とはいえ、米軍の軍楽隊や慰問歌手がジャズやクラシックを演奏する『ポップコンサート』やフランク永井を生んだ『素人ジャズのど競べ』(共に日テレ)など、幅広い音楽番組が成り立っていたようだが、ロカビリーブームを経て、1966年にビートルズが来日公演し、ザ・ワイルドワンズやザ・タイガースなどがGSブームを巻き起こす頃から一変する。

長髪でエレキをかき鳴らすGSやロック、反戦フォークなどは「不良の音楽」と排斥する局もある中、いわゆる人気歌手の歌謡曲をメインにした歌番組が急成長。長髪でエレキをかき鳴らすGSやロック、反戦フォークなどは「不良の音楽」と排斥する局もある中、いわゆる人気歌手の歌謡曲をメインにした歌番組が急成長。

いまも続く大晦日のNHK『紅白歌合戦』は最たるものだが、この形式と視聴者が選ぶベストテンをミックスした『紅白歌のベストテン』(日テレ、1969~1981年)、老舗の『歌のアルバム』(P8)、『夜のヒットスタジオ』など、歌番組は真っ盛りに。また、山口百恵やピンク・レディー、中森明菜らを生んだ『スター誕生』(日テレ、1971~1983年)を始めとするスカウト番組人気で、ビッグ・アイドルが誕生。『レッツゴーヤング』(NHK、1974~1986年)のような若手アイドルの歌番組も人気を呼び、音楽番組は確実に様変わりしていった。

また、山口百恵やピンク・レディー、中森明菜らを生んだ『スター誕生』(日テレ、1971~1983年)を始めとするスカウト番組人気で、ビッグ・アイドルが誕生。『レッツゴーヤング』(NHK、1974~1986年)のような若手アイドルの歌番組も人気を呼び、音楽番組は確実に様変わりしていった。

ランキング番組の最高峰「ザ・ベストテン」世界の音楽が手軽に聴ける今、次代の歌番は?

アイドル全盛、しかも昭和元禄といわれた80年代を象徴する音楽番組は『ザ・ベストテン』だろう。「有線リクエスト、レコード売り上げ、番組へのリクエスト葉書などから正確なランキングを出す。クリーンな決定だから、是非出てもらおう。たとえライヴ中でも、移動中でも、カメラがその場所へ行けば、出演可能なハズ。わかってもらうのに1年くらいかかりましたけど。でも番組が当たってくると反響も大きいので、出演者も系列局も協力的でした」と、プロデューサーだった山田修爾さん。

データ結果は視聴者の願い、出演はスターの意志次第、制作費を考えていたら成り立たない。「前の週の火曜夕方にデータが出て、一両日中に出演交渉。台本作りをしながら金曜と土曜に美術打ち合わせ、月曜にセット発注……。あの12年間は、本番の木曜中心に人生が回っていました」「出演できたら一流歌手」と言われていた『夜のヒットスタジオ』に負けない音楽番組を作りたいとスタートしたが、気がついたら、好きなスターがリクエストランキングに入っているか、入ったら出てくれるかと、茶の間まで毎週熱くなっていた。「番組が成功したのは作る側、出る側、見る側の3者が、同一方向を向いていたからだと思います」

すでに、かつて不良のレッテルを貼られたロック歌手やシンガーソングライターらが「テレビ出演お断り」宣言する時代だったことも加えておきたい。

いまや、世界中の音楽CDがショップに溢れ、視聴者の求める音楽も多種多様となった。「音楽に順位をつけないで」とか「知名度より質の高い人を出して」といった意見もあり、音楽のランキングものは難しいという現場の声も聞くご時世。テレビもとうに1部屋に1台だ。デジタル放送に変わる頃には、どんな音楽番組が生まれているだろうか。

音楽番組、いま昔に思ふ。やって来たのは何だった?

「音楽番組は流行らない時代」と言われる昨今だが、果たしてそうだろうか。ダウンタウンのトーク番組にアーティストが出演して歌を披露する「HEY! HEY! HEY!」(フジ)はじめ、確かに最近は音楽がメインとは言えない歌番組が人気だったりする。山田さんも「歌が刺身のツマみたいで、寂しいなあ」とぽろり。一緒に頷いてる人も多いことだろう。「もっと幅広く音楽を取り上げてほしい」「海外の音楽をもっと紹介してほしい」といった声も聞く。視聴率戦争のせいにしたくないのだが……。

あえて山田さんに聞いてみた。「機会があれば、どんな音楽番組を作ってみたいですか」と。「例えば、原曲をアレンジしたり、本来とは違う楽器で演奏したりして純粋に『音を遊ぶ』番組かなあ。音楽って音を楽しむと書くでしょう。原点に戻ってみたいんです」

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