LUCIE

Writing and Directioning

わたしの深イイ音楽話 -(株)椿 代表取締役 日原 行隆さん-

1940年、広島県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、静岡銀行入行。75年から静岡経済研究所で企業の経営相談や地域経済開発などに携わる。93年退職し、経営コンサルタントとして独立後、国産のヤブツバキの種から非加熱精製法で高品質の椿油を製造販売する現会社を設立。「生の椿油 ジャポネイラ」はカタログハウスや自社サイトなどで通販している。

Vivace, Oct. 2012

Actual Image

音楽も経営も、賢治の「愛の精神」で

感動した「雨ニモマケズ」

すでに50年以上ヴァイオリンを愛奏している日原行隆さん。 「4人きょうだいの3番目、やんちゃで瀬戸内を泳ぐのが好きで、僕だけ習ってなかったんです。でも小学5年生のとき弟のヴァイオリンを弾いてみたら、楽しくて(笑)」

以後中学1年生まで、週1回レッスンを受けた。家族で東京に引っ越し、進学してからは学生オーケストラ。大学卒業後はOBオーケストラ…と、ここまでは珍しくないかもしれない。

だが、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」で知られる宮沢賢治(1896~1933)の、“農業と芸術”をこよなく愛する志を、音楽活動と農業を活かした企業経営の両方で具現化しているのは、特筆すべきだろう。

日原さんは、伊豆大島で化粧用オイル「生の椿油」メーカーを経営しているが、元銀行マン。系列のシンクタンクで企業の経営戦略や地域経済の活性化などに取り組んでいるとき、宮沢賢治記念館(岩手県花巻市)を訪ねる機会があった。

「そこで初めて『雨ニモマケズ』を読みましてね、スゴいこと書いてあると感動したんです。今から25年ほど前のことです」

賢治は岩手の裕福な商家に生まれるも、貧しい農民に金を貸し、質草を別の農民に売る家業になじめず、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)で学んだ後、農学校教師を経て農業指導者に。農民が最新の農耕技術を身につけ、誇りを持って仕事をしながら、音楽や文学なども嗜んで充実した人生が送れるよう、自ら農民になって見本を示そうとしたのだ。

しかし、身体をこわして頓挫をきたす。  「雨ニモマケズ」は、そんな賢治が、晩年病床で書き綴った心の叫びであり、祈りであるが、日原さんの勤めていた銀行の経営戦略に通じるものでもあった。

「景気に関係なく勤勉倹約、収支に応じた範囲内で取り引きし、儲けは地域社会へも還元する、いわば『愛の経営戦略』です

賢治の譜面台レプリカも製作

銀行退職後、日原さんは、著書「最強の静岡銀行」の中で、賢治の「愛の精神」による経営を説いて話題に。そして、賢治の友人がかつて農芸学校を開いた伊豆大島で、椿油の製造だけでなく、原料のヤブツバキの種がより良い品質で収穫できるよう、自社実験農場で品質改良の研究も進めている。

「あまり知られていませんが、賢治さんは、農芸学校の開校前に、農業指導で島を訪ね、『三原三部』という詩も残しているんですよ」

ちなみに学校は1931年開校されるも、校長である友人が4カ月後に病死したため、ほどなく閉校に。賢治も33年に亡くなったが、その志を日原さんなりの方法で実行しているのだ。社訓は「雨ニモマケズ」。

芸術面ではチェロを奏でた賢治が仲間と円座で演奏できるよう考案した譜面台の複製も3台製作した。1台は記念館に寄贈。イベントなどで使われている。日原さんも、命日に行われる「賢治祭」や震災支援演奏会などに、楽友と結成した「椿弦楽四重奏団」で出演し活用している。

椿の種の収穫期である秋に伊豆大島で開いている、ヴェルディのオペラ「椿姫」公演は今年8年目を迎える。プロのオペラ歌手やピアノ奏者らに加え、 「4年前から、島民有志による合唱団も加わり、徐々に住民参加型のイベントに発展しつつあります。」顔をほころばせる日原さん。今年は11月10日、18時半から、大島町開発総合センターで。賢治の「愛の精神」万歳だ!

▲TOP