LUCIE

Writing and Directioning

わたしの深イイ音楽話 -東京芸術劇場館長 福地茂雄さん-

1934年、福岡県生まれ。長崎大学経済学部卒業。57年、アサヒビール(株)入社。主に営業職を歩んだ後、代表取締役社長、会長を経て現在相談役。07年、東京芸術劇場館長に就任。08年から10年1月までNHK会長。他に、企業メセナ協議会理事長、新国立劇場運営財団理事長も務めている。

Vivace, Aug. 2012

Actual Image

蓄音機は、合ハイの必需品!?

少年時代は軍歌ばっかり

「小学校の高学年まで戦争だったから、子供の頃は『麦と兵隊』とか、軍歌ばっかり」と語る、福地茂雄さん。

東京芸術劇場館長で、芸術支援活動に熱心なアサヒビールの相談役でもあるが、少年時代の音楽環境は、決して恵まれてはいなかった。

福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。音楽を身近に楽しめるようになったのは、長崎大学に進学してから。蓄音機を手に入れ、一変する。

「ポータブルの手回しハンドルのついたものです。下宿に友だちがよく聴きに来ましたね。近くの女子大とのハイキングにも持って行きました。山の上で『マドンナの首飾り』とかかけて、いやぁ、レコードが重かったなあ(笑)」

なんと“合ハイ”の必需品だったとは!
レコードは春夏などの帰省の折に、行きつけのレコード店で薦められた曲などを、まとめて買っていたという。

「名曲喫茶にも行きました。和服着るのが好きでね、久留米絣に下駄履いて出かけて、1杯50円のコーヒーでゆっくり聴いて…。当時、下宿代は4,500円だった」

クラシックもジャズも、難しい学理はおいといて、とにかく鑑賞が好きだった。
聴くだけでなく、舞台で歌ったことも。

「一度だけね。学外活動していた長崎ユネスコ協会で、合唱団の男声が少ないからと入団させられて。市民会館で、ウェバー「狩人の合唱」のバスパートを歌いました。4回生でした。」

卒業すると、就職先のアサヒビールには、ジャズの好きな先輩がいて、
「ハリー・ベラフォンテの『ダニー・ボーイ』とか、ディキシーランド・ジャズとか、いろいろ聴きました。ジャズは今も好きです。

ニューヨークに出かけた折には、時間を作ってビレッジ・ヴァンガードやブルー・ノートなど、ライヴハウスで生演奏を味わう。営業職を経て、代表取締役社長、会長、さらにNHK会長など、激務をこなしながら、限られた時間の中でも好奇心旺盛に音楽を楽しんで来た。

マイブームは"聴き比べ"

この10年くらいは、オペラやバレエも見るようになった。 「最近は、同じ演目を5~6回見るなど、場数を踏むようになりました。たとえばNHK交響楽団の『第九』演奏でも、指揮者が違うと音がこんなに違うんだと分かって、聴く楽しみが一層増えました。

今年9月、東京芸術劇場は1年5カ月の改修休館を経て、リニューアルオープンする。エントランスのエスカレーターの位置を変えたり、老朽化した設備を一新するなど、90年の開館以来初の大がかりな工事だが、ハード面だけでなく、ソフト面においても、「お客様がいかに快適に過ごせるか、たとえば、安くてちょっとリッチな雰囲気で食事を楽しめるにはどんな飲食店がいいかなど、快適性を“お客様目線”で考えました。また、劇場前の池袋西口公園との一体改革も進めます。豊島区長の高野之夫さんがとても理解のある方で、公園の美化に尽力して下さる。ありがたいことです」

区制施行80年とも重なり、近くの立教大学とも連携して、池袋西口一帯を芸術文化を軸とした街にしようという取り組みが始まっているのだ。新しくなった劇場で、福地さん同様、聴き比べや見比べの楽しみを味わえる日は、もうすぐだ。

▲TOP